政治家への道

私が政治の世界に入った経緯はいろいろな意味で異例なようだ。そのためにいろいろと誤った理解をされている点もあるようなので、私が政治の世界に入るまでの経緯についてここに記したいと思う。

親類を見渡しても政治家というものがほぼ皆無(祖父の祖父の兄弟の曾孫さんが相当昔にどこかの地方の県会議員をしていたことはあるらしいが)で、しかも金持ちだとか名家の出身だとかというわけでもない私が政治家となれたのは自分で言うのもなんだが正直幸運というよりほかはない。なぜ政治家になろうと思ったか、何を成し遂げたいのかは他の稿に譲るとして、ここでは自分がいつ決断しどうやってここにたどり着いたか、それを書きたいと思う。なぜなら私と同じように志を持ちながらも全く繋がりがない世界ゆえどうしたらよいのかわからないという同世代の青年が必ずいると思うから。

私にとっての政治家とは。。。

正直な話、私はかなり前から日本や世界のいろいろな状況に理不尽さを感じたり歯がゆさを感じたりしていて、いつしか自分が政治家になってこの世の中を変えてやろうと思っていた。実は私は2005年の8月の終わりまで旧大蔵省、現在の財務省の官僚であった。確かに大蔵省出身の政治家は多いからありがちな話にも思えるが、実際には私のように20代で役所を飛び出してという例はそうあるものではない。事実、40代の課長ならともかく20代の係長や若手補佐の年次ではなかなか政治的なコネもないものである。

普通ならそこで「まあしばらく待ってみるか」となるのかもしれないが、私の気持ちとしては一旦「霞ヶ関では世の中を変えられない、政治家にならなくては」と思った以上、大蔵官僚の地位にしがみついているのはただの未練ではないかと思ったこと、そして、「政治家になるというのは何も衆議院議員になることではなく、街角で直接見知らぬ通行人や知人に自らの信じるところや理念を語りかけて、その人の心を動かすことができれば、それだけで立派な政治家といえるのではないか」、そういう思いが確固としてあったこともあって、「もうこれ以上霞ヶ関にいるべきではない、先のことが何もわからなくても」と考えたというのがウソ偽らざるところである。そう思い覚悟を決めて財務省の秘書課(人事をやるところです)の扉をノックしたのが選挙の9ヶ月くらい前の冷え込み厳しい2004年の暮れであった。

なぜそんな時期に辞表を出したのか?実は、私はたまたまその当時厚生労働省に出向しており、ある意味でやめてしまうことは財務省と厚生労働省に二重に迷惑をかけてしまうことになってしまう状況にあった。そこでいろいろと人事担当者に探りを入れてみると、そういう場合に最も迷惑をかけずにやめられるタイミングは、みなが一斉に動く夏の定期異動だとの話を聞いたわけである。その当時はまさか郵政で解散があるなんてこれっぽっちも思っていないわけであるから、私は当然のごとく次の解散総選挙は2006年の秋から2007年にかけてだろうと予測していたものである。だからたとえ無所属だろうとどこかの公募で自民党の公認候補になるのだろう、小選挙区の選挙で勝ちあがって代議士となるためには最低でも一年半から二年くらいはいわゆる「どぶ板」、徹底的に地元を回って人を知り私を知ってもらわなくてはならないだろうと思っていた私は、その一年半から二年間という時間を解散の予想時期から逆算して、辞職のタイミングとしては2005年の夏の異動時期しかないという固い決意と結論を得ていたのであった。

「何もあてなく財務省を辞めるなんて正気か?」

その当時からもう一つあるこだわり、それはこれだ。どうも霞ヶ関出身の政治家は出馬するときに自民党なり民主党なりから公認候補の内定をもらって、ようやく霞ヶ関を辞職する人が多いように私には思われてならない。それのどこが悪いのか?まったく悪くはないが、政治家たるもの、転職感覚でなるべきものではなく、いったんは背水の陣、すべてを投げ打ってもよいという悲壮な覚悟でそれまでのものをすべて捨てて、「それでもやはりそれを俺はやらねばならぬ」と強い想いで目指さなくてはいけないものだろう、これが私がなぜだかわからないが心のどこかに持ち続けていたこだわりである。

まあ普通に考えれば何も決まらないままに仕事をやめてしまうなんていうのはどこかオカシイのであって、人事担当者にも相当心配されたのはある意味当然なのである。しかし、「頭がおかしくなったのか、いやもともと悪いのか」と周囲に心配され、といえば聞こえは良いが、実際には奇妙な生きものを見るような目で見られながらも、私個人としては、自分のような人間はこの心の強さ、決意の強さがなければ、志なぞいろいろな逆風、風雪に耐え切れるものではないのではないだろうかとの思いをいまだに禁じえないでいる。その意味でも自分の決断や経緯は今は奇妙に見えようとも将来必ず自分自身の中で生きてくると信じている。

突然の解散、お先真っ暗

そのようないきさつを経て、私が霞ヶ関を去るXデーはかなり早い時点、連休のころにはすでに7月1日以降8月上旬の間と宣告されていた。さすがに6ヶ月の福岡国税局勤務、10ヶ月のワシントンでの研究員・フェローとしての研究の期間、二年間のNYでの在外勤務があったもののすでに官僚になってから7年近くが経とうとしていた私である、去る覚悟はしていても、日々が非常にいとおしく感じたものであった。まあその当時の同僚たちにはそんな風には見えなかっただろうが。。。 ところが夏になると、郵政が風雲を告げてきた関係で、まずは異動時期が8月下旬、具体的には26日ごろになりそうだと人事に言われ、一方で8月8日にはついに参議院で郵政法案が否決、解散総選挙に突入という、当時の私からするとまさにお先真っ暗、選挙区も何も決まらないうちに事実上ただの失業者となってしまったのである。その当時の真っ暗な気持ちを今でも忘れることはできない。今解散となったら次の選挙は普通に考えて3年後くらい、それまで今あるたくわえでどうやって凌いでいこうか。本気で何を食べて生きていこうか計算したこともあった。

しかし、もはや解散となった以上は、そして財務省を辞めてしまった以上は漫然と生きているわけにはいかない。無駄にしている時間などないし、無駄にしていたら自分は人生の敗者となって一生浮かび上がっては来られない、世間からこうやって消えていくのか、という恐怖をふと背中に感じながら、そのときにできるベストなことは何かを自問自答していたのがあの夏の暑い日のことであった。考え抜いて出した結論が、まず今回の選挙は最高の教材、実体験できる最高の実習場なのだから、どこかの陣営で本格的に選挙に携わらせてもらおうということであった。そこで何度かお目にかかったことがあり、細いながらも私にとって政界での唯一のつながりといえる某ベテラン代議士の事務所の紹介で、私は自分が育った目黒の隣の選挙区である世田谷の越智隆雄候補の選挙事務所に紹介されていったのである。そこからの2週間半は本当にいろいろと勉強させてもらい、全力で選挙活動をやらせていただいた。そういう意味では私は越智事務所で政治のイロハを学んだ人間であり、それを快く受け入れてくださった越智隆雄代議士、そして秘書のSさん、Oさん、Yさんをはじめとするスタッフの方々には感謝が尽きず足を向けては寝られない人間である。心からの感謝をここに記したい。

予想だにしなかった幸運

さて、実は比例代表の名簿に掲載していただけるという話は、越智事務所で選挙スタッフとして頑張っていたまさにその間にはじめていただいた話であった。ちょうど未納騒ぎが頭に残っていたこともあって自分の年金を早々に共済から国民年金に切り替えなくてはと区役所にいって、「無職」「将来就職のあて無し」と正直に窓口のカウンターで問われるままに話したところえらく哀れまれ、減免措置の案内を真顔でされ、ついに自分も一歩間違えれば完ペキな一文無し、這い上がるのはしんどいだろうなあと非常に落ち込んで越智事務所に向かったのがその二日くらい前と記憶しているから、たぶんお話をいただいたのは、霞ヶ関を去り、ゼロからのまっさらな気持ちで越智事務所の選挙スタッフとして無給で働き始めて数日目のことだったのだろう。

もはや失うものが無い状況にあった私にとっては、次の選挙に役に立つことであればなんでもありがたく頂戴したい心境であったのが当時の偽らざる気持ちである。そんな中で「今回は無理だろうけど、次回戦う上で、資金集めや信用という意味で下位であっても自民党の名簿に掲載されることは絶対にマイナスじゃないし、プラスになるはず」ということを自民党の事務局の方に言っていただき、全くそのとおりと感謝いっぱいで比例名簿に名前を載せていただくことになったのは確か8月の最後の日であったのではないだろうか。

その面接の際、二階総務局長(当時)に「何だ、君財務省を辞めちまったのか。早くに知っていればいろいろ相談に乗れたのに、もう選挙区はすべて埋まってしまったよ」というようなことを聞き間違えでなければ伺った気がする。まさに、何も知らない素人の私を土壇場で変則的に拾っていただいた、そういう感謝の念でいまだにいっぱいである。

挑戦しよう!

人間の人生なんて正直何があるかわからない。私だって意を決して馬鹿だの何だの言われながらも財務省を何も決まらないまま体一つでやめてしまっていたからこそ、今の自分の幸運が出てきたのである。私は運命論者ではないが、正直私のような境遇には誰がなっても不思議ではなかったと思う。少なくとも今回の選挙では。政治、というかこの国への想い、志では誰にも負けるものではない自信、自負は正直自分自身持っている。しかし今回の今の議席は正直「私だから」とか私が自分の力で勝ち取ったものではない。それでもこのような境遇で日本のために捧げられる立場になっていることにやはり何かの運命を感じざるを得ない。

こんな経験をすれば、自分の人生について、いろいろ考える。私は今こう思っている。これまでどおり自分の信じる道を自分の足で歩いていこうと。考え抜いた決断だったら、他の誰に何を言われようとも必ずいつか思いもつかない形で実を結ぶと信じているから。

志ある、チャレンジ精神に満ち溢れた皆さん、ともに挑戦してこの国を良くしていこうではありませんか。そして自分の夢をつかんで充実した最高の人生を生き抜こうではありませんか。誰よりも自分らしくいられるのは自分しかいないのだから。